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2007年1月17日 (水)

悪いフィリピン人

Dscf0034_1 コレヒドール島内を観光バスで回る。
車上ではおばさんガイドの案内、車を降りての見学は流暢な日本語を操る60歳くらいのフィリピーの案内。
マッカサーの銅像を見て、廃屋と化した米軍の兵舎を見て、弾薬庫を見て、塹壕を見て・・・・
日本語が流暢なガイド:次はバッテリーへ行きます。
私の心の声:何故バッテリーを見るの?何故バッテリーが必要なの?”バッテリー”って何?
”バッテリー”=”砲台”でした。
私の心の声:そうだよな~、車のバッテリーを見てもな~。。

この砲台を前にしておじさんガイドがこんな説明をした。
ガイド:このバッテリーはだいぶ部品が無くなっているけれど、これは悪いフィリピン人が盗んで売ってしまった。大砲の部品は鉄の塊だから高く売れるからね。

私の心の声:皮肉?
しかし、ガイドの話の中で何回も”悪いフィリピン人”と云うフレーズが出て来るが、彼の表情に変化は無い。
私の心の声:皮肉じゃなくて、本心なのかな?

私は第二次世界大戦の真っ只中だった場所に、笑いながらフィリピーナを連れてカメラしか持たずにこの地に居る。
暑さでTシャツが濡れるほどの汗はかいてはいるが、不快では無い。
むしろ心地良い。

晴天で無風、風の音は無い。
セミは鳴いていない。
当然、大砲の音などは聞こえない。
ガイドが淡々と話す第二次世界大戦の話のみが聞こえてくる。
のんびりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。

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ハーンのバッテリー
(ハーンの大砲)

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2007年1月16日 (火)

コレヒドール観光

Dscf0036_1 海の水は透明度が高く、淡いマリンブルーが美しい。
コレヒドールに到着し船を降りオープンエアーの島内観光バス(案内にこんな書き方がしてあったが、要は屋根の幌しか無いバス)に乗換えとなる。
観光バスは案内言語によって分けられ、English 4台、Chinese 2台、Korean 1台、Japanese 1台に分けられていた。
(台数は大体こんな感じだった←いい加減)
私たちグループは当然Japaneseの車に乗りたかったのだが、この日は日本人観光客が多くて遅く下船した私たち13人に乗るスペースは無かった。
日本語ガイドのおじさんが私たちをEnglish 専用のバスへ乗るように指示。
このバスのおばさんガイドに困った顔をされたが・・・・乗車するしかないから・・・・私はアリサと二人で最前列、シーナは先輩Kや先輩Sたちと私のすぐ後の二列目。
バスは発車して、バスガイドの案内が始まった。
当然バスガイドの第一声は、私たちを見て英語は話せるのかとのこと。
私:(そっけなく)a  little
先輩Kは面白可笑しく、日本語や片言のタガログ語も混ぜて、結局 "a  little"

このバスガイド、小柄なアングロサクソン系のアメリカ人で年齢は40歳と言っていた。
彼女も最初は緊張していたが、先輩Kの対応が面白いので私たちのグループは大事に扱ってくれた。
意外と案内は解り、全く意味不明な箇所は横のアリサに聞いたので十分理解できた。

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オープンエアーの観光バス

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2007年1月 9日 (火)

コレヒドールへ

P1180033 船が出発して15分ほど経ったところで、乗客は三々五々デッキへ出て行く。
私は皆よりは少し遅れたがが、デッキへ移動。
船はマニラ湾を沖に向かって進んでいる。
マニラ湾の水は汚くゴミもかなり浮いている、港を離れかなり経つのだが一向に水は澄んでこない。
私たちが子供の頃には、公害による四日市喘息、富士の田子の浦のヘドロ、首都圏での大気汚染等が問題になったが、フィリピンでは今この時代を進んでいるのだろう。

アリサの顔色は悪かったがデッキで、先輩Kやシーナと話をしていた。
私がカメラを向けるとこちらにピースをして見せた。
私の心の声:これなら、大丈夫かな?

この時点で、私達の行き先がコレヒドール島であることを聞いた。
(聞いても、どんな所かは全く分からなかったが・・・・)
後で地図を見たのだが、マニラ湾を出たところにオタマジャクシの形をした島が有り、第二次世界大戦時の日米の激戦地だそうである。
コレヒドールには小一時間で到着した。

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船に有った、消火器と身体障害者対応のマーク。
しかし、何が身体障害者対応なのか分からなかった。

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2007年1月 8日 (月)

船で出発

P1180037 アリサ:船が恐い~ ´へ`;
私:大丈夫だよ。
アリサ:皆が帰ってくるまでここで待っているから~。
私:どの位船に乗るのかな、遊覧船だったら長くて1時間~1時間半位かな・・・、でも一人で大丈夫なの?
アリサ:船には乗りたくない。
私:みんな一緒だから大丈夫だよ。
アリサ:ここで待っているから良いでしょ。

シーナもアリサに二言三言、声を掛けるがアリサの硬い表情は変わらない。
他のメンバーは既に乗船場の建物に入っているがアリサは恐がって入りたがらない。
女の一人歩きが危ないマニラで、1時間半も一人で放って置くわけにはいかないので、何とかだましだまし建物の中に入れる。
首を振り続けるアリサを、私がなだめ続けていた。
(こうゆう時にはシーナってマイペースだから、アリサを説得しようとは考えない。基本的に女王さまかな?)
そうこうしているうち、この日の幹事であるK(フィリピーナ)が乗船切符とパンフレットを3人分、私の所に持ってきた。

リーダー格の先輩Kが、アリサの船を嫌がっている姿を見かねて
先輩K:大丈夫だよ!!
アリサ:沈んだら、死んじゃう。
先輩K:くだらない事、言って無いで船に乗るんだよ!!
駄々をこねていた子供が、親に一喝されて静かになる様に、アリサの声もだいぶ小さくなった。
私の手の中の3枚の切符を見ると、2つが続き番号で残りの一つはだいぶ飛んだ番号だった。
シーナとアリサに隣合う番号の切符を与え、私が飛んだ番号を貰った。

乗船の時間となり、かなり嫌がっていたアリサであったが静かに船に乗り込んだ。
私にが席に着こうとすると、後ろの方から
アリサ:ケンジがシーナの横でしょ。
私:気にするな、あなたは船が恐いんでしょ。シーナと話をしていれば少しは恐くなくなるでしょ。
アリサ:ohu-----.
(こんな態度を取るから、シーナが私の本心を確信出来ないんだよね~。)
まぁ、こんな事で船は出発しました。
私、この時点でも貰ったパンフレットを見ていなかったので、まだこの船をマニラ湾のクルーズだろうと思っていた。

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船で私の席から前を見る。
(つまらない写真で申し訳有りません。)

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2007年1月 7日 (日)

フィリピンのタクシー

P1180022 タクシーは脇道を通り信号機の無い交差点へ差し掛かる。
交差点はT字路でこちらが合流する側、日本では合流するには流れの途切れた部分を待たなければならないが、合流先の道は一方通行で2車線で車が走っている。(走っていると言うより”動いている”との表現がピッタリかな)
交差点では全ての車がクラクションを小刻みに、且つ連続して鳴らしている。
私たちが乗るタクシーも合流先を動く車を見ながら、クラクションを鳴らしながら無理やり車を割り込ませる。
車の鼻先が入ってしまえばこちらの勝ち。
日本では喧嘩になりそうな場面で有るが、喧嘩になるようでもない。
これを何回か繰り返してロハス通りに出たが、今日は何かのイベントで(マラソン大会と言っていたが・・・)ロハス通りの片側車線を通行止めに成っているから、大渋滞。
100mを進むのに10分以上掛かっている。
タクシーの運ちゃん、無線を使って誰かと話をしている。
分乗したタクシーの運転手同士で話をしているのか、指令所と話をしているのか分からなかったが、話が終わった直後、車を路肩側にUターンさせて走り出した。
私の心の声:えっ、これって逆走じゃ無いの?
先輩達が分乗していた他のタクシー達も一斉にUターンを掛けた。
数台のタクシーが並んでロハス通りの路肩側を逆に走る。
100m程走ると今度は、分離帯方向に左折をして分離帯の反対側に出た。
私の心の声:えっ!今日は進入禁止じゃ無いの~?
全く車が居ない車線を数台のタクシーは目的地に向かって40km程度のスピードで走る。
私達はVIPでは無く、ただの日本人観光旅行者。
確かに私たちからすれば有りがたいのだが・・・・、フィリピンって無法地帯?

そんな事で、あっと言う間に無事に目的地に着いた。
そりぁ~、早く着くわな~。
警察には追いかけられると思った。

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三日目の朝食
↑太っているわりに食事量は少ない。
↑何故?

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2007年1月 6日 (土)

死んじゃう。

P1180009 今回のフィリピン旅行のお膳立てをして戴いたK氏(先日のBlogの先輩Kとは別人)が推薦する観光スポットへ、今回参加した内の7名でこの観光地に行くことになった。
先輩達が話をして、同伴の女の娘(こ)の分は全員で負担すれば良いからとのことで、1人から五千ペソずつを集めて日帰り旅行の始まりとなった。男性7人、女性6人の全13名のグループ。
(私の連れが2名で申し訳なかったが、いつも大目に見て戴ける先輩方のご好意に甘えさせて頂きました。)
この時点で、目的地が分かっていたのはS先輩だけじゃなかったのかな?
私達はどこに行くのか全く分からないまま五千ペソを先輩に預けて、後は金魚のうんち・・・・。
今回の会計は先輩Sの恋人で元タレントKが担当した。
どこに行くのか分からないまま、ホテルからタクシーに分乗して船着場へ。
私たちのタクシーは先輩K、シーナ、アリサと私。
アリサ:船に乗るの?
私:知らないけれど、船着場に行くのだから船に乗るんじゃないかな?
アリサ:私は船には乗りたくない。
私:何故?
アリサ:私は泳げないから、船が沈んだら死んじゃうでしょ。。
私:泳げても、船が沈んだら皆死んじゃうよ。
アリサ:恐い・・・・。
私:大丈夫だよ。
アリサ:恐いからイヤ。
アリサは船着場までつくまで『恐い、乗りたくない』と言い続けていた。
アリサは緊張のせいか顔色も良くなかった。

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100ペソ札

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2007年1月 5日 (金)

朝食はバイキング

P1180021 一通り見て歩くが、特に怪しげな食べ物は無かった。
(せっかくだから、フィリピンならではの品を食べたかった。)
宿泊客は、中国、韓国、日本の順でしょうか。欧米人もいるが数は極端に少ない。
中国、韓国の旅行客は団体だから、常に大勢で動いている。
大勢で動いているから、自国の言葉を大声で使い、五月蝿(うるさ)い。
7:00a.mで、まだマッタリとしていたい時間帯なのに・・・。
騒々しい中、私は目玉焼きと、焼きベーコン2枚、ソーセージ2本、クロワッサン2つ、コーヒー。
シーナとアリサも同じような物を持ってきていた。
天井がかなり高く、高級感を感じさせる食堂ではあるが、食べるものはビジネスホテルとたいして変わらない。
まぁ、泊まっている客は私を含め上流階級は居そうも無い。
三々五々、先輩達が起きて来て私たちのテーブルや周囲のテーブルに陣取り、私の周囲も日本語で賑やかく成って来た。
私達は1時間程かけて、ゆっくり食事を取った。
シーナとアリサは家族とか、友人達とメールをしている。
若い人たちは全世界共通なのだろう。

私は日本でも良くコーヒーを飲むが、この時も何杯もお代わりをした。
(別にお代わりをする訳では無いのだが、コーヒーカップの中がなくなるとボーイがお代わりは如何と聞いてくるから、つい『ください』と言ってしまうのだ。)
皆で朝から井戸端会議。
(俺達も大声で笑いあって、他のテーブルからは五月蝿いと思われているのかな?)
昨日は空港で荷物を間違えられたり、マッサージにボッタクラレル寸前まで行ったり付いていなかった先輩Kが、私たちを見て。
先輩K:M君は3Pか、いいな~。それに引き換え散々だったよ。
私:していません。
先輩K:こんなに可愛い子2人と同じ部屋で、それは無いでしょ。
私:彼女達はベッド、私はソファーに寝ました。
私の心の声:確かに、そう見えるでしょうね~。
しかし、この言葉は私を嫌な気分にした。

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携帯をするアリサ

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2007年1月 4日 (木)

Morning sir.

P1180012 この日は8:00a.mに集合の為、早めに朝ごはんを食べようと7時には1階の食堂へ。
通路でホテルの従業員とすれ違う。
ホテル従業員:Morning  sir.
私の心の声:ん? 通路には俺達しか居ないよね・・・。う~~、”Sir” か、気持ち良いな~~。。
私:Good morning .

通路で、エレベーターホールで、玄関ホールで、食堂で、フロントで・・・ホテル内はどこでも言われた。
冷静に考えれば、私たちは客だから当然の事。
でも今まで”Sir”なんて言われたことが無いし、そう呼ばれるなんて考えたことも無かったから、嬉しかった。
これ以降、私は”Morning sir.”って挨拶してもらいたくて、メイドやホテルマンとすれ違うときはこちらから”Good mornig.”と声を掛けていた。

私:Good  morning.
メイド:Morning sir.
良いでしょ。

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シークレットボックス (やはり一流ホテルだ、中身が無くなるトラブルは無かった)

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2007年1月 3日 (水)

フジツー

P1180014 シーナも目が覚めて、アリサと一緒に映画を見ていた。
アリサ:前に見たmovieだけど、日本人が主人公だから音声は日本語で、字幕が英語のコメディーが有った。普通のフィリピン人は日本語が分からないから笑わないんだけれど、日本人の話す言葉は”フジツー、スズキ、トヨタ、ホンダ、テンプラ、スシ、”しか言わない。こんにちわが”フジツー”だったかな?後の言葉の意味は忘れちゃったけれど・・・。
たとえば二人の会話は
日本人A:フジツー
日本人B:フジツー
日本人A:スシ、テンプラ、カラアゲ、モチ、スズキ。
日本人B:ホンダ、トヨタ、テンプラ、スシ、スズキ。
私は日本語が分かるから、面白かったけれど、シーナも知っているでしょ。
シーナ:見たことあるよ~。^^
シーナはそれぞれの言葉の意味をかなり覚えていて、単語の意味を教えてもらった。それぞれの意味はもう忘れてしまったが、この言葉遊びはこのフィリピン旅行での私たちの合言葉のようになった。
アリサ:スシ、テンプーラ、カワサキ。。
シーナ:ホンダ、トヨタ、スズキ。
私:ヤキニク、モチ、ヤマハ。
てな具合で、事ある毎に言っていた。

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部屋の電話機はフジツーだった。

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2007年1月 2日 (火)

私は目覚めて

P1180017_1 アルコールを多量に飲んだから、ぐっすり寝て眼が覚めた。
時計を見ると5:00 a.m 外はまだ暗い。
そのままの体制を保ち再び寝ようとするが、もう眠れない。
年寄りの朝は早く、特に夏場の私は睡眠時間が短くなる。←何故か分からない・・・、自宅では4:00a.mに眼が覚めることもちょくちょく。
結局10分もじっとしている事が出来ずに、バスルームへ。
これ以上ゆっくり出来ないと言う程時間を掛けて歯磨きをして、朝の排便を済まし、再びソファーへ戻る。
照明を点けて二人を起こしてかわいそうなので、カーテンを少し開けて、まだ暗い外をボーっと眺めていた。
5:00a.mには通る車は少なく、走る車はけっこうなスピードだった。
外はなかなか明るくならなかったが、時間の経過と共に自動車の通行量はどんどん増えていき、日が昇る前から渋滞が始まっていた。
ダイヤモンドホテルからロハス通りやマニラ湾は西側に位置している。
東の空がしらみ、向かいのビルが朝日に照らされ、それからマニラ湾やロハス通りが明るく成って行った。
驚いたことには、明るくなったロハス通りには早朝に散歩をするフィリピン人達が沢山いた。
→フィリピン人はそれ程ぐーたらでは無いよね。
→私は勘違いをしていた。
早朝の散歩を時々している私としては、マニラの清清しい?早朝の空気の中を歩いて見たかったが、一人歩きをするほど恐怖感が消えているわけでは無かった。
清掃局の人間だろうか、道路を掃除している制服姿の人間も窓から見える。

6時を少し回り、アリサが目覚めたようで、テレビをつけた。
私:おはよう。
アリサ:おはよう。
私:いつも、こんなに早く起きるの?
アリサ:子供を学校に送り出すから、この時間には起きる。
私:へ~、あなた 偉いな~、あなたが朝ごはん作るんだ。
アリサ:ううん、お母さんがご飯を作る。
私:それじゃあ、アリサは?
アリサ:ご飯を一緒に食べて、子供が学校に行ったら、又寝る。
私:はっ? ん~~。。 まあ、しようがないか。。
6時半頃にシーナが起きるまでは、二人でいつもの世間話。。
彼女とは冗談のフィーリングが合うから、お互いに冗談を言い合っていた。

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bath room

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2007年1月 1日 (月)

謹賀新年

P1100021明けまして、おめでとうございます。

今年の目標

まじめに仕事をする。

胃を治す。

ダイエットで10kgダウン。

強いハートを持つこと。

・・・・・・・・・・・

フィリピン旅行に1回行きたい。

はははっ。。

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謹賀新年

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